『疫癘の御文』が書かれた頃の中世
現在、私の周囲には死後のことを問題する人は、ほとんどいない。
「死は生の終わり。できるだけ長生きをして、楽しまなければ生きている意味がない、、、」
そう思っている人が大半を占めているように思う。
そう思っている人が大半を占めているように思う。
試しに、我が息子(次男)に新型コロナウイルスに感染したらどうする?と聞いてみたら、
「それは仕方ない。かかったら、かかったとき。浄土真宗は死後の問題。生きている間のことは人間の力でどうにかせなあかん」と返ってきた。正直ビックリする返事だった。そこで、私はこの『疫癘の御文』について調べてみた。
まず、蓮如上人によってこの『御文』が書かれた延徳4年(1492年)、世間ではどんなことが行われ、何が問題になっていたのか?『御文来意鈔』(おふみらいいしょう)によれば、
疫病終息を願う祈りが御所はじめ各所でなされ、さらに、改元が行われ「延徳」から「明応」に変わった。
そして、大坂・堺御坊(浄土真宗の寺院)周辺では「疫病にかかるのは、善人も悪人も関係ない。みな同じようにかかる」これは自業自得の道理から外れているから「非業」だ。これでは極楽浄土に生まれられないのではないか? ということが問題になっていた。
そこに、蓮如上人が訪れ、「そもそも人が死ぬのは疫病によってではない。生まれたから死ななければならないのは、決まったことである、、、そんな我々に対して阿弥陀如来は、善人も悪人も関係なく、我(阿弥陀)をたのむ者を必ず救うとおっしゃる」と説かれる。
死後を問題としない我々に、この御文の「精神」に触れることができるだろうか?